トピックス

インタビュー


近年、登山道(トレイル)を走るトレイルランがブームだ。
登山とトレイルランの違いは何か?
そして、トレイルランは山の環境に影響を与えているのだろうか?
トレイルランナー・石川弘樹が、自らの思いを披瀝してくれた。

※この記事は『山と溪谷』2008年11月号(10/15発売)の特集「最新版 山の『環境』読本」からの転載です。

語り=石川弘樹 インタビュー・文=平塚晶人

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撮影=須藤ナオミ

いしかわ・ひろき 日本山岳耐久レース連覇などの実績をもつトップトレイルランナー。海外のトレイルレースに多数出場し、世界のレース事情に詳しい。「Madarao Forest Trails50km」ではプロデューサーを務めている。


  鎌倉市街地のほど近く、ゆっくり歩いてもじわりと汗がにじむ急坂のてっぺんに、石川さんは3年前から居を構えている。環境保全に対する意識の高い土地柄は、石川さんにとって格好の思索の場となっている。

  「ぼくの家から40kmのトレイルコースがとれるんですよ。そのうち車道は3kmだけです。家のまわりの山を走ってヘロヘロになれるんだから、トレーニング環境としては最高ですよね。
  このあたりの山を走るようになってもう10年になります。その縁で、間接的にですけれど、地元の環境保護の活動とつながりを持ったこともあります。実感するのは、鎌倉のそうした運動が、自然に対する深い理解に根ざしていることです。この区域は動物の通路になっているから森を残す必要がある、というように、保護の意味づけがきちんとなされているんです。
  そういう形で地元の人に愛されている自然のなかを、ぼくは『走る』わけですから、やはり気をつかいます。すれ違う人がいれば自分から声をかけて、あいさつをして。爽やかなスポーツだね、がんばっているねと思ってもらおうと。実際、これまではよい印象を持たれているという手応えが確かにありました。でも最近、その自信がちょっとだけ揺らいでいるんです。
  トレイルランが持つ要素のうち、山道を走るという行為そのものだけを見れば、対自然という点ではほとんど問題がない、とぼくは感じています。もちろん、軟弱な地盤や木道などを通る際はスピードを落とす必要があります。そういう気づかいを持って少人数で行動する限り、山歩きとさほどの違いはおそらくない。
  問題はレースです。大人数が一度にトレイルを走る行為は、条件しだいで自然に悪影響を与えます。それだけが理由じゃないんですが、数年前から、トレイルランのレースを監視する環境団体が現われました。各地の大会に人を派遣して、たとえば登山道を外れるランナーの写真を機関紙に載せて、『山のルール無視』などとやるわけです。お役所に対して大会の中止要請を出すこともあるようです。
  ぼく自身はその手の批判を直接受けたことがまだないんです。でも、たとえば地元を走っているとき、声をかけても返してくれない人がいると、ひょっとして鎌倉にもトレイルランに対してネガティブな印象を持っている人がいるのかなと、ふと不安になったりするわけです」

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撮影=須藤ナオミ

  自然に対して可能な限りローインパクトなトレイルレースのイメージが、石川さんのなかには明確に立ち上がっている。それは、活動の主舞台をアメリカへと移してきた経験の結実でもある。

  「初めに断っておきたいんですが、ぼくは『日本山岳耐久レース』を頂点とするいくつかの伝統あるレースについて、こう直すべきだと主張をするつもりはないんです。現在のトレイルランブームを産み出した大会ですし、今もランナーの目標になっている。ビッグイベントとしていつまでも残してほしいと思っています。ただ、今後新しくつくられるレースは、これらの大会を真似してほしくないんです。
  参加者の多い大会が抱える最大の問題は、レース中に渋滞が発生することです。ひどいときは1時間近くも動けなくなってしまう。急斜面で過度の人間が滞留すれば、将棋倒しとか落石とか、不慮の事故が起こる可能性はやはり否定できないんです。選手にもストレスが溜まりますよね。せっかくきつい練習を積んできたのにその成果がちっとも発揮できないんですから。いきおい、トレイルから外れて追い越そうとする人が現われる。環境に与えるインパクトが最大になるのがこの瞬間です。
  ぼくはレースで渋滞にはまる位置にいたことはないんですが、それでもスタート地点から大集団が形成されたまま、トレイルへ一気になだれ込む瞬間の凄まじさは肌身で知っています。これは異常だぞ、という感覚がたしかにあるんです。ところが海外ではそうした経験が一度もない。大人数が参加するレースでもそうです。理由はコース設計にあります。スタート地点からシングルトラックに入るまでに充分に距離をとっている。たとえばツール・ド・モンブランは『日本山岳耐久レース』と同じ200 0人が参加する大きなレースですが、街々を抜けて山岳コースに入るのは10km過ぎからです。集団は完全にばらけて、選手はぽつん、ぽつんと点在するようになる。そうなると追い抜くためにトレイルから外れる必要はもうないですよね。トップ選手どうしによるチェイスがあったとしても、自然へのインパクトはほとんど問題にならないものです。
  考えるべき要素は、コースの状況、参加人数、そして天候です。同じ人数が走るのでも、路面がぬれていれば掘り返される程度が大きく変わってしまいますから。ぼくがコース設計に関わった斑尾高原のレースは、スタートからフラットで幅の広いコースが続くんです。それをもとにレース状況をイメージして、300人までなら、選手も競い合いを充分に楽しめるし、たとえ悪天候でも自然への影響はないと判断しました。初年度は実際に雨に降られたんですけど、トレイルが傷むことはなかった。そこで2年目の今年は定員を350人に増やしたんです。あのコースでは、それが適正規模だと思います」

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撮影=柏倉陽介

  それにしても、山をなぜ走るのか。石川さんは、ある日のブログにこう記している。「今日向かったトレイルは心と体が喜びを感じるトレイルだった。延々と続くその先を追い求め、体の疲れなどお構いなし、心拍数なんて気にもせず石川弘樹の本能に任せて走り回った。...言葉では表現できないトレイルランニングの魅力を僕のあらゆる感覚が快楽として感じていたと思う。この魅力・嬉しさはどうやって伝えればいいのか...」。話はトレイルランの本質論へと遡る。

  「トレイルを走ることのどこに満足感を覚えるかは、人によってさまざまですよね。アップダウンの激しい難コースを踏破して達成感を得たい人もいるだろうし、ゆるやかな起伏を長く走って自然との一体感に浸りたい人もいます。前者はえてして、天候や路面が悪条件であっても、これがトレイルランだと納得してしまう。サバイバル風というか、体育会的というか。ぼくは完全に後者です。登りは大嫌いだし(笑)、天気のいい日に楽しく走りたい。そして、なるべく後者に属するランナーが増えてほしいと思っているんです。ぼくが講師を務めるトレイルランのクリニックでも、ぼく自身が気持ちいいと思えるコースで、ぼくなりの楽しみ方を紹介しています。
  これは日本人の山の捉え方とも関係があると思うんです。海外の、特にアメリカのトレイルを走ると感じるんですが、山裾のなるべく走りやすいところを通っています。山頂はオプションのひとつに過ぎないんですね。日本では山頂は目標地点ですよね。じつは斑尾のレースでも、ぼくがコースを設定したとき、主催者から『もっと上り下りの厳しいきついコースのほうがいいんじゃないんですか』と不安がられたんです。これじゃ選手が満足しないと思われたんですね。雑誌の記事でも、ビギナー向けのコースと紹介されることがあります。でもぼくは違うと思っていて。フラットであるほうが、バチバチした競い合いができる。現在のコースでも、まだ起伏が多すぎると思っているくらいなんです。
  草花を踏みつけるとか、登山道ののり面を壊すといった、環境へのダメージをトレイルランが引き起こすとしたら、それはレース中のことであって、しかも、それはルート設定とコンディションから想定される適正参加人員を超えたレースに限られるんです。
  最近はレースでの渋滞中に、トレイルを外れて追い越そうとするランナーがいると、とたんに罵声が飛んで、何とも険悪な雰囲気が漂うといいます。それは、参加者の大多数のなかで、自然保護に対する意識が高まっていることの証でもあるんですよね。ほんとうは、文句を言う相手は主催者なんですよ。『これじゃ走れないよ』って。いっぽう、主催者の側は参加者にいかにトレイルランを楽しんでもらえるかという点を判断の基準に置いてほしい。ランナーが気持ちよく、スピードを維持したまま走れるレース。それはけっきょく、環境に優しいトレランとイコールなんです」

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撮影=柏倉陽介

  じつは、石川さんには登山歴がない。トレイルランが山とふれあうきっかけだった。しかし、だからこそ、山に対して、山を歩く人に対して、登山者が持ち得ない新鮮な感覚を抱いている。そこから生まれる発想は、つねに登山者とトレイルランナーの相互理解を志向している。それは、トレイルランが環境に対してローインパクトなものであるための前提でもある。

  「ずっと一人で走ってきましたから、山の中で人に会えると単純にうれしかったんです。あいさつの言葉は自然と出てきました。やがて、山で見ず知らずの人があいさつを交わし合う意味がだんだんと理解できるようになりました。まずは、自分が危険な者でないことを示して、さらには自己紹介の意味も含んでいるのかなと。
  トレイルランナーは、もともと山にあるルールやマナーを無視しては、決して登山者と共存できないと思うんです。だって、せっかくの休日にのんびりしたいと山にやってきた人の前を、ものも言わずに荒い呼吸音だけを残して勢いよく通り過ぎれば、『何だ、あいつは』ってことになりますよ。ぼくらだって何も一日じゅう走り続けるわけじゃない。山頂で立ち止まったときにそこで休息している人がいれば、こちらから進んで話しかければ、雰囲気は和やかになります。ルートの様子や咲いている花のことを教えてもらうこともあるし、登山者からすれば、自分が履いている重登山靴とはまるで違うランニングシューズに興味を持つことだってある。ぼくはこれまでそういう気持ちで行動してきました。その経験からいうと、そこに充分、会話は成り立つんですよ。
  レースを開催する場合も同じです。自然環境を含めて、その山のことを理解することです。地元で活動している団体があればそれらの人とまずは話し合う。ぼくらの山の楽しみ方を知ってもらって、それから、ではこれくらいの人数ならどうですかと提案する必要があります。その過程で、安全や環境の面でこの区間は避ける必要があるということがわかれば、コースを変えるなり、潔く撤退する。レースに必要な距離をとるために必要だからといって、どうしてもここをルートにしたいという発想だけは絶対に避けるべきです。
  トレイルランナーも登山者も、山という同じ場で楽しむ者どうしです。きっとわかり合えるとぼくは信じているんです」

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9月28日に行われた「第1回菅平スカイライントレイルランニングレース」で、不整脈と足底筋の痛みを抱えながらも2位以下を大きく引き離して優勝した宮原徹選手(滝ヶ原自衛隊)。世界に通用する日本人トレイルランナーとして今後さらなる活躍が期待される宮原選手に、アドスポwebが直撃取材。日本人最高の2位に入った今年8月のキナバル国際クライマソンやこれまでの競技生活、来シーズンの目標など語ってもらった。

――菅平トレイルレースの優勝、おめでとうございます。レースを振り返っていかがですか?

宮原:今回は不整脈が出るのが怖かったので、前に出た選手についていって最後に勝負しようと思っていたんです。ゆっくり入ったつもりでしたが、最初から前に出てしまいましたね。今日は序盤から不整脈が出てしまったので、そのことで頭がいっぱいでした。途中で止まることも考えたんですけど、松本選手が強いのはわかっていたので、止まらずにペースを抑えて走ろう、と。勝ててほっとしました。

――不整脈はいつから出るようになったんですか?

宮原:数年前からです。上りのときは平気なんですが、心拍が上がった状態で下りに入るとリズムが狂ってしまう。心拍数が200くらいまで上がってしまうんです。医者にも通っていますが、最近多くなったので(対処を)考えないといけないなと思っています。奥宮さん(俊祐・2007年日本山岳耐久レース2位)も経験があるそうなので、話を聞かせてもらったりしています。

――もともと自衛隊体育学校で陸上競技をやっていたそうですね。

宮原:はい。体育学校時代は1日3回練習だったんです。故障がホントに多くて年に3回くらい脚を痛めていました。しかも1回の故障が長くて、2~3ヶ月走れないこともあった。3年でやめて、滝ヶ原駐屯地に移りました。

――1日3回練習の体育学校時代と比べると練習の量は減った?

宮原:だいぶ減りましたね。普段は勤務があるので、朝練と17時以降の練習です。それでも滝ヶ原に移ってから5000m、10000mの自己ベストが出ました。

――記録が伸びた要因は?

宮原:やっぱり体育学校のときは、練習のやりすぎでしたね。ほどほどの練習が自分には良かったのかなと。あとは滝ヶ原の地形も良かったと思います。富士山の裾野でアップダウンばかりの場所なので。

――トレイルランニングに力を入れ始めたきっかけは?

宮原:06年に出た富士登山競走がいちばんのきっかけですね。滝ヶ原に来て、05年の富士登山駅伝に初めて出場して4区で区間新を出したんです。そのときに富士登山競走があると知って、出てみようかなと。

――初出場で2時間32分40秒の大会新記録ですよね。手ごたえはあったんですか?

宮原:試走を3回くらいやって、そのときの感じで大会記録は出るんじゃないかなと思っていました。試走ではスタートから馬返しまでと、馬返しから山頂までを分けて走って、そのタイムを足したら、大会新記録だったので。

――宮原さんの記録は「驚異的な大会新」とも言われていますが、ご自身が樹立した記録をまだ縮める自信はありますか?

宮原:2時間半は切れるんじゃないかなと思います。本番のレースでは終盤、エネルギー切れであまり速く走れなかったんです。まだ確定ではないですけど、来年はまた挑戦したいと思っています。

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<キナバルで日本人最高の2位>
――日本人最高の2位に入った8月のキナバル国際クライマソンについてもお聞きしたいのですが、故障を押してのレースだったそうですね。

宮原:7月の北丹沢のレース中に足底筋の部分断裂をしてしまったんです。もともと足底筋膜炎を抱えていて、北丹沢の前は全然走れなくて......。でもキナバルに出たかったので(※北丹沢の優勝者はキナバル招待)、北丹沢には出たかった。それで無理して出たんですけど、残り5km地点で石を踏んでしまって、足を捻って「ブチッ」と。

――音がしたんですか?

宮原:しました(笑)。最後は痛くて足がつけない感じでぴょこぴょこ走る感じでしたね。

――それでも2位に10分の差をつけて優勝ですか。すごいですね。

宮原:その時点で「もうキナバルは終わったな」と思いました。病院では「全治6~8週」と言われたし、あきらめていたんですが、お世話になっている鍼治療に毎日通ったら、2週間半で登りは走れるようになりました。下りは衝撃が強くて痛みが出ていたんですけど、その時点で8月あたまの富士登山駅伝に出ることができる、と。

――富士登山駅伝は下りもありますよね。

宮原:登りでは痛みは感じなかったんですけど、下りはテーピングとプラスチックのサポーターでガチガチに足を固めた状態で走りました。結果は区間3位くらいでしたね(チームは優勝)。で、やっぱり駅伝で無理してしまったので、今度は腰とヒザを痛めてしまった。駅伝の後は1週間、また全く走れなくて、キナバルに向けては2週間くらいで調整した感じでした。

――では、キナバルもよい状態ではなかったんですね。

宮原:そうですね。練習はほとんどできていなかったです。で、チームの監督や周りからは「登りだけ(全力で)いけ」と言われたんです。だから本番のレースでは登りだけで終わるつもりでした。

――実際のレースではどうだったんですか?

宮原:山頂は2位で通過して、全力では下らないと決めていたので下りに入って最初はゆっくりいきました。山の中腹あたりで横山さんに抜かれて、やっぱり「悔しい」と思った。そこで無理してついていくか、あきらめるのかちょっと考えて「ついていこう」と。残り2kmくらいはロードだったので、そこで横山さんを抜いて2位でゴールしました。

――痛みは大丈夫だったんですか?

宮原:走っているときは感じなかったです。5回くらい転んで打撲もしていたので、ゴールしてからはあちこち痛かったですね。

――2位という結果については?

宮原:記録とか順位とかは頭になくて、完走することしか考えていなかったので、あれだけ走れたのはびっくりですね。プラスに考えれば、練習できなかったことで逆に疲れがとれてよかったのかもしれないなと。

<スカイランナーワールドシリーズに出てみたい>
――宮原さんはハセツネ(日本山岳耐久レース)への興味は?

宮原:ハセツネは......夜に走るんですよね。

――夜は寝たい?

宮原:寝たいですね(笑)。

――72kmという距離に対してはいかがでしょう?

宮原: やっぱり長いですよね。菅平(40km)も自分にとっては長かったです。

――(ハセツネへの興味について)周りからも言われるのでは?

宮原:言われますね。ただ、ロードの駅伝の時期に入ってしまうので出られないチーム事情もあるんです。全く興味がないわけではないですけど、今はそこまではないですね。

――今後、出場してみたいトレイルレースは?

宮原: スカイランナーワールドシリーズに出てみたいです。キナバルにしか出たことがないのでほかのレースにも興味がありますね。

――もともと山に登ったりはしていたんですか?

宮原:登らないです(笑)。だから、自分が登りを得意だとは思っていなかった。2005年の富士登山駅伝で4区の区間新記録を出して「あ、登りもいけるのかな」と。

――今大会でトレイルは一区切りだそうですが、シーズンを振り返っていかがですか?

宮原:ハプニングだらけでしたね。今回の菅平でも足を2回くらい捻ってまた足底筋を傷めてしまいました。やっぱり完全に直らない状態でまた走ってしまうので繰り返してしまいますね。

――国内で出場したトレイルレースでは軒並み優勝、キナバルでも日本人最高の2位と今年もすばらしい戦績でしたが、ご自身では納得のシーズンではなかった?

宮原:思うようにはいかなかったですね。でもキナバルは自分でも思いもよらない良い結果でした。

――では、最後に来シーズンの目標を教えてください。

宮原:キナバルにはまた挑戦したいですね。来年のキナバルはワールドシリーズの最終戦で10月に開催されるんです。今年よりももっと強い選手が集まると思うので、その中で入賞できればいいなと。キナバルに行けるように、富士登山競走でも頑張りたいですね(※富士登山競走優勝者はキナバル招待)

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みやはら・とおる
25歳。長崎県諫早高校では全国高校駅伝出場(花の1区)。自衛隊体育学校を経て滝ヶ原駐屯地赴任。初出場の2006年富士登山競走で優勝(2時間32分40秒の大会新記録樹立)。北丹沢12時間山岳耐久レース2007・2008年連覇。今年8月のキナバル国際クライマソンでは日本人最高の2位に入るなど数々の輝かしい戦績を残す。

松田珠子=インタビュー・文
杉本哲大=写真

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東京のど真ん中、外資系の金融関連企業で働くビジネス戦士だ

 9月15日、OSJトレイルシリーズの最終第5戦となる「OSJクロスマウンテンマラソン・イン・王滝」が開催された。第4戦まで総合ポイント争いのトップに立っていた渡辺千春さんが3位に入り、出場ポイント(3点)と合わせて17ポイントを獲得。合計獲得ポイント69点で、男子総合優勝を果たした。OSJトレイルシリーズ5戦すべてに出場し、コンスタントにポイントを重ねたことが、総合優勝につながった。
 アドスポWebでは、多忙な渡辺さんを昼休みにキャッチし、ランチインタビューを敢行した(インタビュー=9月19日)

写真・文=宮崎英樹(ASM編集部)

注目のトレイルランナー、奥宮俊祐
ロングインタビュー

4月6日に行なわれた「青梅高水山トレイルラン」35kmの部で、2位以下に8分以上の大差をつけて圧勝し、昨年大会に続く連覇を達成した奥宮俊祐さん。
さらに6月1日の「八海山登山マラソン」にも優勝し、今シーズンはまさに絶好調が続いている。
しかし、日本山岳耐久レース(通称ハセツネCUP)では、05年3位、07年2位と、あと一歩のところで優勝を逃している。
「今年こそは絶対優勝を」と誓っている奥宮さんに、ロングインタビューを行なった。

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おくのみや・しゅんすけ
28歳。大宮自衛隊第32普通科連隊所属の三等陸曹。トレイルレースは、05年の「日本山岳耐久レース(長谷川恒男カップ、通称ハセツネ)」が初出場。このときは月夜見の手前までトップだったが、鏑木 毅、横山峰弘とデッドヒートのうえ、転倒して手指を骨折、3位に終わった。07年大会では今熊神社から大岳山荘付近までトップを独走するも、相馬 剛に抜かれ2位に終わる。パン職人から自衛官に転職するというめずらしい経歴をもつ。家庭では子ども2人のよきお父さんでもある。
奥宮さんのブログ【トレイルランは楽しい】


取材=宮崎英樹(ASM編集部)
写真=宮崎英樹・加多駄智子(ASM編集部)、高橋庄太郎

ハセツネの“アドベンチャーグリーン”をめざす
沢野有希さん来社!

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一昨年、アドスポWebで「ハセツネ完走への道」を連載していただいたアナウンサーの沢野有希さんが、アドスポ編集部を訪問。
沢野さん、一昨年は残念ながらリタイヤでしたが、昨年はみごと完走!
今年も速攻でエントリーし、すでに出場権をゲットしたそうです。

ハセツネ10回完走者のみが得られる称号“アドベンチャーグリーン”をめざす、というだけあって、つい最近、「赤十字救急法救急員養成講習 救5-4」の資格を手にしたとか。
昨年のハセツネでの事故を受けて、身近で事故が起きたときになんとかしたい、との思いから、資格を取ろうと決意したのだそうです。
また現在は、森林インストラクターの講座を受けている最中だそうです。
沢野さん、今年もがんばって完走してくださいね。

★アナウンサー沢野有希のハセツネ完走後の道~♪

「サザン・トラヴァース」オーガナイザー
ジェフ・ハント氏来日。緊急インタビュー!

2005年度の「アドベンチャーレーシング・ワールドチャンピオンシップ」となった「サザン・トラヴァース」。そのオーガナイザーであり、世界のアドベンチャーレース界の重鎮であるジェフ・ハント氏が緊急来日。北村ポーリン氏が直撃インタビューを敢行した。