2008年10月29日 投稿者: ミヤザキ
おまたせしました! 注目のトレイルランナー・宮原徹選手インタビュー

9月28日に行われた「第1回菅平スカイライントレイルランニングレース」で、不整脈と足底筋の痛みを抱えながらも2位以下を大きく引き離して優勝した宮原徹選手(滝ヶ原自衛隊)。世界に通用する日本人トレイルランナーとして今後さらなる活躍が期待される宮原選手に、アドスポwebが直撃取材。日本人最高の2位に入った今年8月のキナバル国際クライマソンやこれまでの競技生活、来シーズンの目標など語ってもらった。
――菅平トレイルレースの優勝、おめでとうございます。レースを振り返っていかがですか?
宮原:今回は不整脈が出るのが怖かったので、前に出た選手についていって最後に勝負しようと思っていたんです。ゆっくり入ったつもりでしたが、最初から前に出てしまいましたね。今日は序盤から不整脈が出てしまったので、そのことで頭がいっぱいでした。途中で止まることも考えたんですけど、松本選手が強いのはわかっていたので、止まらずにペースを抑えて走ろう、と。勝ててほっとしました。
――不整脈はいつから出るようになったんですか?
宮原:数年前からです。上りのときは平気なんですが、心拍が上がった状態で下りに入るとリズムが狂ってしまう。心拍数が200くらいまで上がってしまうんです。医者にも通っていますが、最近多くなったので(対処を)考えないといけないなと思っています。奥宮さん(俊祐・2007年日本山岳耐久レース2位)も経験があるそうなので、話を聞かせてもらったりしています。
――もともと自衛隊体育学校で陸上競技をやっていたそうですね。
宮原:はい。体育学校時代は1日3回練習だったんです。故障がホントに多くて年に3回くらい脚を痛めていました。しかも1回の故障が長くて、2~3ヶ月走れないこともあった。3年でやめて、滝ヶ原駐屯地に移りました。
――1日3回練習の体育学校時代と比べると練習の量は減った?
宮原:だいぶ減りましたね。普段は勤務があるので、朝練と17時以降の練習です。それでも滝ヶ原に移ってから5000m、10000mの自己ベストが出ました。
――記録が伸びた要因は?
宮原:やっぱり体育学校のときは、練習のやりすぎでしたね。ほどほどの練習が自分には良かったのかなと。あとは滝ヶ原の地形も良かったと思います。富士山の裾野でアップダウンばかりの場所なので。
――トレイルランニングに力を入れ始めたきっかけは?
宮原:06年に出た富士登山競走がいちばんのきっかけですね。滝ヶ原に来て、05年の富士登山駅伝に初めて出場して4区で区間新を出したんです。そのときに富士登山競走があると知って、出てみようかなと。
――初出場で2時間32分40秒の大会新記録ですよね。手ごたえはあったんですか?
宮原:試走を3回くらいやって、そのときの感じで大会記録は出るんじゃないかなと思っていました。試走ではスタートから馬返しまでと、馬返しから山頂までを分けて走って、そのタイムを足したら、大会新記録だったので。
――宮原さんの記録は「驚異的な大会新」とも言われていますが、ご自身が樹立した記録をまだ縮める自信はありますか?
宮原:2時間半は切れるんじゃないかなと思います。本番のレースでは終盤、エネルギー切れであまり速く走れなかったんです。まだ確定ではないですけど、来年はまた挑戦したいと思っています。

<キナバルで日本人最高の2位>
――日本人最高の2位に入った8月のキナバル国際クライマソンについてもお聞きしたいのですが、故障を押してのレースだったそうですね。
宮原:7月の北丹沢のレース中に足底筋の部分断裂をしてしまったんです。もともと足底筋膜炎を抱えていて、北丹沢の前は全然走れなくて......。でもキナバルに出たかったので(※北丹沢の優勝者はキナバル招待)、北丹沢には出たかった。それで無理して出たんですけど、残り5km地点で石を踏んでしまって、足を捻って「ブチッ」と。
――音がしたんですか?
宮原:しました(笑)。最後は痛くて足がつけない感じでぴょこぴょこ走る感じでしたね。
――それでも2位に10分の差をつけて優勝ですか。すごいですね。
宮原:その時点で「もうキナバルは終わったな」と思いました。病院では「全治6~8週」と言われたし、あきらめていたんですが、お世話になっている鍼治療に毎日通ったら、2週間半で登りは走れるようになりました。下りは衝撃が強くて痛みが出ていたんですけど、その時点で8月あたまの富士登山駅伝に出ることができる、と。
――富士登山駅伝は下りもありますよね。
宮原:登りでは痛みは感じなかったんですけど、下りはテーピングとプラスチックのサポーターでガチガチに足を固めた状態で走りました。結果は区間3位くらいでしたね(チームは優勝)。で、やっぱり駅伝で無理してしまったので、今度は腰とヒザを痛めてしまった。駅伝の後は1週間、また全く走れなくて、キナバルに向けては2週間くらいで調整した感じでした。
――では、キナバルもよい状態ではなかったんですね。
宮原:そうですね。練習はほとんどできていなかったです。で、チームの監督や周りからは「登りだけ(全力で)いけ」と言われたんです。だから本番のレースでは登りだけで終わるつもりでした。
――実際のレースではどうだったんですか?
宮原:山頂は2位で通過して、全力では下らないと決めていたので下りに入って最初はゆっくりいきました。山の中腹あたりで横山さんに抜かれて、やっぱり「悔しい」と思った。そこで無理してついていくか、あきらめるのかちょっと考えて「ついていこう」と。残り2kmくらいはロードだったので、そこで横山さんを抜いて2位でゴールしました。
――痛みは大丈夫だったんですか?
宮原:走っているときは感じなかったです。5回くらい転んで打撲もしていたので、ゴールしてからはあちこち痛かったですね。
――2位という結果については?
宮原:記録とか順位とかは頭になくて、完走することしか考えていなかったので、あれだけ走れたのはびっくりですね。プラスに考えれば、練習できなかったことで逆に疲れがとれてよかったのかもしれないなと。
<スカイランナーワールドシリーズに出てみたい>
――宮原さんはハセツネ(日本山岳耐久レース)への興味は?
宮原:ハセツネは......夜に走るんですよね。
――夜は寝たい?
宮原:寝たいですね(笑)。
――72kmという距離に対してはいかがでしょう?
宮原: やっぱり長いですよね。菅平(40km)も自分にとっては長かったです。
――(ハセツネへの興味について)周りからも言われるのでは?
宮原:言われますね。ただ、ロードの駅伝の時期に入ってしまうので出られないチーム事情もあるんです。全く興味がないわけではないですけど、今はそこまではないですね。
――今後、出場してみたいトレイルレースは?
宮原: スカイランナーワールドシリーズに出てみたいです。キナバルにしか出たことがないのでほかのレースにも興味がありますね。
――もともと山に登ったりはしていたんですか?
宮原:登らないです(笑)。だから、自分が登りを得意だとは思っていなかった。2005年の富士登山駅伝で4区の区間新記録を出して「あ、登りもいけるのかな」と。
――今大会でトレイルは一区切りだそうですが、シーズンを振り返っていかがですか?
宮原:ハプニングだらけでしたね。今回の菅平でも足を2回くらい捻ってまた足底筋を傷めてしまいました。やっぱり完全に直らない状態でまた走ってしまうので繰り返してしまいますね。
――国内で出場したトレイルレースでは軒並み優勝、キナバルでも日本人最高の2位と今年もすばらしい戦績でしたが、ご自身では納得のシーズンではなかった?
宮原:思うようにはいかなかったですね。でもキナバルは自分でも思いもよらない良い結果でした。
――では、最後に来シーズンの目標を教えてください。
宮原:キナバルにはまた挑戦したいですね。来年のキナバルはワールドシリーズの最終戦で10月に開催されるんです。今年よりももっと強い選手が集まると思うので、その中で入賞できればいいなと。キナバルに行けるように、富士登山競走でも頑張りたいですね(※富士登山競走優勝者はキナバル招待)

みやはら・とおる
25歳。長崎県諫早高校では全国高校駅伝出場(花の1区)。自衛隊体育学校を経て滝ヶ原駐屯地赴任。初出場の2006年富士登山競走で優勝(2時間32分40秒の大会新記録樹立)。北丹沢12時間山岳耐久レース2007・2008年連覇。今年8月のキナバル国際クライマソンでは日本人最高の2位に入るなど数々の輝かしい戦績を残す。
松田珠子=インタビュー・文
杉本哲大=写真
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